自分の周りは全員敵

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推しと自担の違いについての自己解釈

多くの人が挑戦したであろう、「自担」と「推し」の違いについて挑戦したいと思う。
私の語彙力は周りのはてなブロガーに比べるとゼロに近いが、それでもやりたい。のでやる。

「自担」について

ジャニオタ用語の「自担」。
はてなブログ内のはてなキーワードにはこう書いてある。

ジャニーズ用語。

自分が担当、すなわち好きな、または応援しているメンバーの事。

女性アイドルで言えば「推しメン」。

 

自分が「好き」「応援している」メンバー
メンバー、ということだからこの場合この「自担」と言われている人は複数人いるなんらかの所属していることになる。
だから自担はそのグループ内で一番応援している人、ということになる。

「推し」について

だとしたら推しはなんなのか。
女性アイドルでいう「推しメン」がジャニーズ界隈でいう「自担」と定義付けられている。でも私は「自担」と「推し」は別の枠で語られている。
なので、自分なりに推しについて考えていく。

まず、「推す」という言葉だが、デジタル大辞林にはこう書いてある。

人や事物を、ある地位・身分にふさわしいものとして、他に薦める。推薦する。「候補者に―・す」「優良図書に―・す」

ここから察するに、推す、という言葉には物事や人を他人に薦める、という意味がある。
なので、「推せる」というのには、他人に薦められる、ことを指すから、「他人に薦めても恥ずかしくない、むしろ他人に知って欲しい」という意味が「推し」には含まれている。

「推し」についての自論

推し増しという言葉がある。
推し増しは、ある人を推す状態を変えずに別の人も推すことを指す。*1

推しは増える。確かに増える。そして元から複数いる場合もいる。
この、推し増しが今回のキーワードとなる。

「推し」に対してどういうことを考えているのか。ということに今回はスポットを当てていく。
ある人に対してはかっこいい、付き合いたい。
ある人に対しては可愛い、応援したい。
ある人に対しては歌が上手い、だから聴きたい。
ある人に対しては声が好き、だからもっと聴きたい。
ある人に対しては演技が好き、だからもっと色んな演技を見たい。
かっこよくて、歌もうまいし演技ができる人は推しになる。
かと言って、顔も歌も微妙だけど演技と声が好きな人も推しになる。
別にさほど他の推しに比べて興味が無くても、その日パフォーマンスが良かったり、対応が良かったら推しになる。

推しに対しての求めている「ハードル」が低いのだ。

ちょっとでも、「良い」と思うと、「好き」に繋がる。
「好き」と言う言葉には様々な重みがある。
この、「推せる」にはフランクな好きな意味がある。
ただここから重くなって行くパターンもある。そして、もっと見たい、もっと聞きたい、もっと知りたい、そうなって深入りしていく。
この深入りすることに関してはまた後日で。

この推しとハードルについて言及する。
推しへのハードルが低いということは求めているハードルも低いということである。
ライブが始まる前などに「こういうことをして欲しい」という期待値が低い。
これは悪い意味ではないし、求めていないというわけではない。
ただ、「会える!やったー!」くらいのフランクな気持ちで行って「今日もかっこよかった!ハッピー!」で帰れる。
求めていることがないということは、期待値が0であるが故に少しでも良いパフォーマンスをしてくれると「ハッピー」に繋がる。
そして各推しに求めているものは違う。
だから推しが増える=推し増しに関して私は悪いと思わない。
推しは偶像であり、彼氏であり、神である。
そして推しの前では私はファンであり、彼女であり、神の前に祈る聖職者であるのだ。

 

私の日常生活を華やかにしてくれるのが推しなのである。
軽い気持ちで会いに行ける、好きでいられるのが「推し」なのだ。

 

自担についての自論

ここからが本日の本題となる「自担」

自担に関しては上記で述べたハードルの話を持ち出そうと思う。
自担に対して求めているハードルが高い。
それはなぜかと言うと、「自担は人生」だからである。
自担とはその人を一番応援しているという意味がある。最推しと言っても過言ではない。
でも何か違うのだ。最推しと自担は決定的に違う。
なぜなら自担に対して期待しているからだ。
私は自担にはある一定以上のことを求めている。
1つはビジュアル
1つはライブなどのパフォーマンス
1つは歌唱力や演技など実力
そのほか日常とか女関係とか諸々あるが、とりあえずこれ。
かと言ってこれら全て完璧でなきゃいけないわけではない。
「前髪切りすぎ!」と怒ったりするし、「キャラ忘れてる」と演技についてケチつけたりもする。
でも仕方ない。だって相手は人間だし、私も人間だからだ。
私は自担に対して常にモンペ*2になれない。
確かに、確かに、すごくかっこいいライブの後とかはモンペになる。なってしまうよ、かっこよかったから。
常にモンペではなのはただの全肯定厨だ。
かと言って貶し愛というわけでもない。
この二つにおいては過去のブログを参考にしてもらいたい。

 

snow1024y.hatenablog.com

 

話を戻そう。
なぜ、自担が人生なのか。それは自担に対して全てを捧げる覚悟を自分の中で決めているからである。
これから先、担降り、担替えなど様々なことがあることはわかっている。
でも今この時、この瞬間、優先順位の一番は自担なのだ。
かと言って全てにおいて優先する訳では無い、一個人としての予定や金銭的都合など様々な理由で彼を応援できない瞬間がある。
けれどもその瞬間は推しに比べてかなり少ない。そういうことなのだ。
自担が最推しと似て非なる理由としてもうひとつ挙げるとしたら、彼らに対して勝手に、私が、人生を救われているというところもある。
例えば嫌なことがあったり、死にたいた思ったことがあった時、生きようという理由になった人だったりする。
この人に会うまで死ねない、このイベントがあるからまだ生きないと、と超絶勝手に理由をつけて生きているのだ。
私の場合、受験失敗して落ち込んでる時にたまたま聞いたラジオが面白くて元気貰ったとか、 死にたいと思った時に聞いたその言葉が刺さったとか。
これはもうどのオタクでもある事だと思う。現に周りでもある。
自担に対しては「恩」を感じているのだ。
生きる理由をくれたこと、好きでいる幸せも辛さも教えてくれたこと、自分の生活に意味を与えてくれたこと。
全部自担がくれたのだ。
自担を応援するのには理由がない。好きなのだ。純粋に自担が好きなのだ。
好きだからこそ嫌なところに目がつくから文句も言ってしまう。
それは許して欲しい、だって私は全肯定ではない。
推しに比べて自担を好きになるきっかけは明確である場合が多いと思う。みんな自分の胸に手を当てて考えて欲しい。

 

話をまとめよう。

自担は自分の人生に意味を見出し、輝かせてくれる人
推しは自分の生活を華やかにしてくれる人

 

それが私の結論である。

*1:はてなキーワード参照

*2:モンスターペアレントのこと。何をしてもかっこいいかわいいと言っちゃう的な意味でここでは使用