自分の周りは全員敵

夢だけ見せて〜!!

好きなものを人と話せなくなった話

以前文学フリマで少しだけはてなブログのスタッフさんと話して「そういえば何年もはてなブログ書いてないな~」と気付き、ずっと書く機会を伺ったけど、ようやく書けそうなお題を見繕えたのでここに書き記します。UIがあまり変わってなくて安心した。

オタク特有の推しの感想を言い合って「分かる~」と言い合うあれ。
あれが年々できなくなっていってる気がする。そんなことをだらだらと書いてる。

できなくなったこと

同じものを好きな人と話す
同じ作品が好きで、同じキャラクターが好きなら好きなものを共有できるかもしれないけどそう簡単ではない。
多分これは世間一般で言う『解釈違い』が大きな理由だと思う。
その作品をドタバタコメディと見るか/青春群像劇と見るか、そのキャラクターを可愛いと見るか/カッコいいと見るか、みたいな。
私はこれを解釈とするけど、この解釈が違う相手とは見えるもの/感じるものが違うので、話しているうちに「あれ?」ってなるし、最悪場が荒れる。
1回友人とあまりにも解釈が合わなさすぎて割とガチガチの言い合いになったことがある。今もその友人とは仲良いとはいえ、触らぬ神に祟りなしといいますか、あえてする話でもないよなとなり、結局そのキャラの話は私からしなくなった。無駄な争いはしたくないよね。

自分の好きなものを人に紹介する
自分が好きなものを知ってほしい、なんなら一緒にハマって楽しみたい!そんな思いで好きなものを紹介する。これはオタクじゃなくてもある会話だけど最近どんどんできなくなってしまった。
これは『否定されたくない』からだと思う。
作品に興味がないと言われると合う合わないもあるから仕方ないよなと思えるけど、作品を面白いとは思えないとか言われると、それを面白いと思っている自分の感性も否定されているような気がしてちょっと悲しい。考えすぎだとは思うし、さっきと同じように合う合わないがあるから仕方ないと思えれば良いんだろうけど、興味がないと面白くないってちょっと違うくないですか?興味がないは無関心(0)だけど、面白くないは否定(マイナス)だと感じる人間なので、否定されるくらいならもう言わないでおこう……になってしまった。
あとは何かを紹介して「見てみるよ~」「読んでみるよ~」と言われて待っていても見てもらえてない、読んでもらえてない、なんなら興味があるみたいなことを自分が言ったことすら忘れられていると、なんか「あっ……はい……」ってなっちゃう。これは多分、興味がある(プラス)から無関心(0)になるからなんだと思う。

なんとなくわかってきたこと

ここまで書いてわかったのが私自身が相手の感情がマイナスになること、もしくはマイナスの動きをすることに対して、めちゃくちゃ敏感な気がする。
作品やキャラクターを否定されると、自分自身を直接否定された気持ちになってしまう。別に私が否定されたわけではないのにわけではないとはわかってもそうなってしまう。
あと解釈が合わないのはもう仕方ないと言うか、根本的に違うものになってしまってるから、分かち合うという行為ができない。分かち合えないならもう敢えて言及する必要もないよねというのが私の思い。

BSS(僕が先に好きだったのに)

これは『解釈違い』と『好きなもの否定されたくない』とはちょっと違う。
あと多分本来のBSSとは少し違う。本来のBSSはこちらで。

numan.tokyo

ここでいうオタクBSS『推しが被ってそれでなんかモヤることが増える』みたいな感じ。
自分が好きになって割と思い入れのある作品/キャラクターを周りも好きになった。そこまでは嬉しいはずなのに、変に思い入れとかこだわりがあるせいで周りと分かち合えないし、話せないやつ。
『自分が先に好きなった』パターンも話せないけど、『友人が先に好きになった』パターンでも相手と話せない。だってわかってしまう。私が何を言ってもBSSなんだろうなと勝手に思ってしまうからだ。もちろん「私の好きな人のことを話してくれるなんて嬉しい!」「もっと〇〇のこと話したい!」って人もいるだろう。でも様々な複雑な感情が働いてしまい、「え、今〇〇のこと好きなんだ。良いっすよね」くらいしか言えないし、深入りもしたくない。
うまく言語化できないけど、なんかモヤるじゃないですか。あとモヤられるだろうなっって察しちゃうじゃないですか……
だから友達が先に好きだった作品/キャラクターの話は敢えてこちらからは振れない。

結論

解釈違い云々言ってますけど、そもそもオタクの解釈なんてぜ~んぶ間違いだしぜ~んぶ幻覚なんだから正しい正しくないなんてない。みんな間違い。そんなことわかってるけど解釈違いで荒れてしまう。不毛だ。

それから好きなものを紹介されて「面白くない」「好きじゃない」って言われて傷つくのは受け取り手が悪い。それはそう。考え過ぎ。
そんなことわかってるけどそう感じちゃうもんだから、なんというか哀れ。

というか、解釈が合う合わないとか、好きなものが一緒かどうかじゃなくて、会話しているときの心地よさなんだろうね。
「この人は私が好きなものを話しても否定しないから話せる」みたいな聞き上手で心優しい人がいいとまでは言わないけど、「この人とはちょっとした言い争いになってもちゃんと仲直りできるから大丈夫」みたいな。結局話す内容がどうとかではなく、話す相手がどうという問題だということにようやく気付いてしまったな……

 

面倒くさいオタクだなぁとか生きるの下手くそだなぁとか思われそうだけど仕方ないよ、だってそういう人間なんだから……
はぁ~~~人間って面倒くさいね。

 

追記
というかこのブログの1つ目の記事のテーマが『解釈違い』でちょっとおもしろかった。何年解釈違いと戦ってるんだ。